鬱前夜、救いの手
どうやら今年の1月は行動や表情、受け答えなど、いわゆる鬱っぽい異変が身内には見られた模様。
そこから救ってくれたのは、妻からの「がんばらなくて良い」というメッセージだった。自分が何とかしなければ、と根底に思い込んで溜め込んでいたことを、見事に覆してくれたようだ。
今になって、こうしてblogに書くようにもなって、友人にもポツポツと経緯を話すようになって。
とにかく妻には感謝しかないが、これが他の人から言われたとして、果たしてどうだっただろう?
実は、かなりしんどかった時期に、たまたま駅前で配られたポケットティッシュに挟まれたカードを、ずっと職場のPCモニタの下に貼りだしてある。
「死なないで まず打ち明けて その悩み」「生きよう」と書いてある。
死ぬほどではないと一蹴して、記載の電話番号へ掛けるようなことはしなかった。
ただ、根底にあったのは、「誰かに話しても仕方がない」という思い込みでもあった。
振り返って、同じような境遇で苦しんでいる人には、本当の意味で、誰にでも良いから、話してみるのが楽になる一歩ではないかと思う。
他人に話すことは、即ち、自分自身へ語り掛けることになる。
頭で整理して、自分の口で発音して、それを自分の耳で聞いて、認識しなおす。
それによって、自分を客観的に見つめ直すことにつながる。
絶対に、つながる。
そしてそれは、他人ですらなくても良い。反応なんか無くても良い。いやむしろ、相手の反応を気にしたり、前提を延々と話したり、そんな気を遣う必要はないのだ。
ぬいぐるみのクマちゃんに話すと良い。
信じなくても良いので、騙されたと思って、自分の事を、声に出してみると良い。
そこには、はっきりと、SOSが客観的に聞こえてくるはずだ。
それを素直に聞くと良い。
大事なのは、声を出すことだ。
あれ?何かおかしなことを言ってるな?と気付きがある。
自分は理路整然と話したつもりでも、客観的に、論理の飛躍を感じることが出てくる。
そこに「どうせ誰に言っても通用しない」「どうせ何も変えられない」という思い込みが出てくる。
この思い込みを、壊していくと良い。
私の場合は、こぼした愚痴から勝手に妻が壊してくれた。
そうしたら、次には、文字でも良い。書くと良い。
寝る前の日記でも良いし、Blogでも良い。
誰かの目に触れることを前提として 、文面にしてみる。
どうせ、数か月や数年経った自分なんて、別人になっているものだ。
その人が、たまたま読むと思えば良い。
その人が、自分の思い込みを壊してくれる。
そうやって、一歩ずつ進む中で、未来や過去の自分を含めて、思い込みを壊してくれるような人がいなさそうなら、こころの健康相談ダイヤルとかに電話すれば良い。
嘘でも儀礼でも社交辞令でもなんでも良いから、共感の言葉をもらうと良い。
ちょっと鬱っぽいなーと思うことがあれば、是非とも、誰かに話して欲しいと思う。
クマのぬいぐるみが手っ取り早いと思う。
誰もいなければ、こころの健康相談センターへ電話する。
あとは、重い腰をあげて、メンタルクリニックへ行って「薬で症状だけでも楽にして欲しい」と伝える。拒否されたら、別のクリニックへ行く。必ず、薬で症状だけでも軽くしてほしいという思いにすぐに応えてくれる場所がある。
少しでもマシになったら、根本原因から全力で離れよう。
そうやって、生き残ろう。
どうか、死なないで。